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        中央アルプス縦走  北から南へ    2012年8月5日〜8日            地図 

中央アルプスのいくつかの山はそれぞれピストンで登っていたが、数年前、空木岳へ登った時、全山縦走できないかと考えた
全山と言うのはどこからどこまでだろう?北は経ヶ岳から始まるようだが、新しく出来た権兵衛街道で寸断されているし、道もない。
とりあえず区切りのよさそうな権兵衛峠からはじめ南の大平宿までの縦走を考えた。


中央アルプスは駒ヶ岳の一部を除き幕営禁止で避難小屋などの泊りとなる。
この小屋の間隔と一日の歩行距離から考えると4泊5日が無難な所だ。念のためツエルトも持参だ。
昔の権兵衛街道は今は車では通り抜けられないが、木曽側からは車で峠まで行ったことがある。また摺古木山、大平宿も以前に行っている。 さて縦走となると、登り口と下山口が異なる、この問題をどうするか?南から北へ、あるいはその逆、いろいろなことを考えたが奥念丈、安平路が難路だと考えると北から南の方がいいように思えた。出発前日、諸々の事情で急に田舎へ帰らなくてはならなくなり、   
1泊2日で車で往復し、予定より1日遅れで出発。


まずは伊那の与地に車を止めた。ここは木曽への岩魚釣りの帰りには何度も通っていて、あらかじめ良い駐車スペースの見当をつけておいた所だ。
5日分の重いザックを担いで昔の米の道を、始めは車道、途中から山道をと権兵衛峠に向かって歩き始めた。峠まで後650メートル標識の所で、左手に行く道がある、こちらの方が近道のような気がしたので、登っていったが、まもなく十字路、そのままだと反対側に下っていく、左手に行くのだろうが水を汲んでおきたいのでザックをそこに置き、右手に向かう。行けども行けども水場も権兵衛峠もなく、道も怪しくなってくる。
あきらめてザックの所まで戻り、先の標識の所に出て、再び峠向かって登りだす。どうにか8時には見覚えのある権兵衛峠に出た。
ここでたっぷりと水を汲み、ジャンボカラマツの方へ向かう。先ほどの十字路は途中にはなかった。
ジャンボカラマツへの道は広く歩きやすい。カラマツそのものは道から200メートルほどはずれにあるので、見物に行く。
途中には絆のカラマツなるものもあった。再び縦走路を行くが烏帽子岳(南沢岳?)辺りからは地図にある点線通り、道は笹に覆われてわかりづらいが、
歩くのにはそれほど困難ではない。桂小場からの通常ルートに合流する馬返しに出て駒ケ岳の方を目指す。
大樽小屋には12時に着いた。当初ここが1日目の泊まり場の予定であったが、時間も早いので西駒山荘目指すこととする。
胸突き八丁は少し長かったが名前ほどでもなかった。後、道は平坦気味で少しずつ登ると開けた稜線に出て西駒山荘はすぐであった。
10人くらいの人たちが将棋頭に登っていた。後で聞くとこの山荘も来年は立替で休業し、今年が最後になり小屋番と登る山・・のイベント参加者のようであった。夜にはこの人たちと伊那市の花火大会を山の上から見る散歩に出かけた。ガスが出て一部しか見られなかった。

2日目


翌朝は天気予報どうり雨、でも進まなければならない。遅めの6時に出発。雨脚はそれほど強くなく、山なみも見えるし、北の方は青空も見える。次第に雨も止み、馬の背に出ると駒ケ岳、宝剣岳もはっきりと見える。駒ケ岳神社に参拝し中岳、宝剣岳へと進む。
宝剣岳は一度ピストンで登っているが、岩場は反対側も結構厳しかった。極楽平で一息つく.三の沢岳の分岐あったがとても寄るどころではない。
いくつものアップダウンを過ぎ、さて今日はどこに泊るか?予定では檜尾避難小屋だが、出来れば木曽殿越まで行っておきたい。
2011年の雑誌 岳人 には新しい避難小屋があるように書いてあるが、地図上には避難小屋でなく営業の木曽殿山荘しかない?
檜尾山頂に付いたのは12時半、チョッと微妙な時間だ。この頃になると急に空は暗くなりだしてきたし、天気予報では雷雨とあったので予定どうり檜尾避難小屋を目指すが、結構遠い。小屋はモダンな造りでここに荷を置き、水場に向かう。2分とあったが、疲れた身体にはとてもそんなものではなかった。
小屋に戻ってしばらくすると雷雨、やっぱりここにして正解。あのまま進めば今頃雷雨の中だ。 

 この日は一人貸しきりだ。 夜半には雨も止み、星も出ていた。

3日目

5時前に出発。檜尾山頂まで結構ある。朱に染まる雲海のうえの日の出は見ごたえがある。三の沢も赤く染まり、遠く御嶽山も良く見渡せる。更に熊沢岳、東川岳と登り、この先急降下、木曽殿越えに着く。先の新しい避難小屋らしきものはなく木曽殿山荘のみであった。
ここでしばらく休み、目の前の空木への急斜面を登る。登り始めると、下から見たほど急ではなかった。頂上近くの岩場を過ぎると伊那側のすぐ下に駒峰ヒュッテが見えてきた。すぐに山頂に着いたが、他には誰もいなかった。                            次は南駒ケ岳を目指す。長いトラバースの後、赤椰の頭?右下に赤い屋根の擂鉢窪避難小屋、緑の草原の中にありメルヘンティックな感じであるが、水場も無いとのことである。その脇には百軒ナギが迫っていた。
南駒への20分ほどの岩場の急登。山頂には一人の登山者が休んでいた。今夜は越百小屋と 同じであった。
しばらくこの人は辺りの景色を眺めているようだし、また雷雨が心配なので一足先に仙涯嶺目指す。
道を間違えたかと思うほど大きく下降した後、急峻な岩峰を回り込むようにして登る。見下ろす谷底は深く足がすくみそう。
しかし山頂の標柱らしきものは無くいつの間にか岩場を通り越し広い尾根に出ていた。
近づくまでは越百山かと思う紛らわしいピークを過ぎると、以前正月に来た時の標柱は新しくなっていて、趣のある古い標識ははなかった
 ここで明日の予定の奥念丈や安平路方向を地図を広げ確認しておいた。
少し遅れてきた先の男性は明日須原へ下るので南越百まで言ってくると出かけたので、先に小屋へ下ることとした。先客が1人いた。  この人も明日、南越百ピストン後須原に下るという。安平路をヤブコギするのはどうも私一人のようだ。夕食前、小屋のの主人も交えいろいろな山の話をした。先客者は海外の山にも詳しく、ロッククライミングの経験のあるベテランのようで参考にさせてもらった。       7時にはもう床に入り眠りに着く。

4日目

翌朝は4時半には起きだしパッキング。朝食後5時半には出発。越百への登り返しは朝とはいえ、4日目なので結構応える。 1時間ほどで山頂に着き、すぐさま南越百へ向かう。
一寸したハイマツ帯でも道のわかりづらいところもあった。大きなケルンが二つある南越百を過ぎると、いよいよ道はわかりづらくなる。
笹も背丈くらいになり歩きづらい。それでも足に当たる抵抗感で足元を見なくても何とか道はわかる。
まだかまだかと笹と悪戦苦闘中にほんのわずかな空き地に出た。みすぼらしい小さなプレートにマジックインクで奥念丈額と書かれていたし、古く朽ち落ちそうな標柱も倒れていて意外にもここが奥念丈岳であった。少し遅れ気味のペースだ。                  
ここから左手に念丈、烏帽子への尾根伝いの道があるはずだ。いつかは辿ってみよう。前方には一つピークの奥のほうに一際高いのが安平路山だろうと検討をつけた。まだまだずいぶんと先だ。
少し下って猛烈な笹薮登り、がむしゃらに登り返していく。袴腰らしいピークに出て、そのまま乗り越えていくと水の流れの跡でいかにも踏み跡らしくみえるし、歩きやすい。途中まで降りていくとその先は谷底、どうも道を間違えたらしい。
  松川乗越に続く登りの稜線はずっーと左の方に見える。ここから笹の急斜面を左手へトラバース。トラバースといっても水平には進めない。少しずつ斜めに滑り降りて仕舞う。必死に両手で笹をつかみ出来るだけ水平に進む。
この尾根かこの尾根かとぬか喜びする小尾根をいくつかまわりこんでようやこく松川乗越続く尾根に出て一安心。
かなりの体力、時間のロスだ。すっかり疲れてしまった。昔の避難小屋がこの近くから見えることになっているが見当もつかない。
ここからの登り、どこが地図上の浦川山で、小茂吉沢の頭かわからない。高い方高い方へと笹を掻き分け登るが、何度笹の上にどっかと身体を預けたことか。
しばらく息を整えまた這い上がる。ようやく傾斜は緩みだしたが笹は深い。安平路山はまだか?予定時間は過ぎていく。
ふと右後方を見ると標柱らしきものが見える。近づいてみると安平路山としっかり書かれた標柱があった。危うく通り過ぎるところであったが、これで一安心。
後は道があるはず、時間も迫っているし水も少ない。休憩もそこそこに避難小屋を目指す。笹はまだ深いが道は足の抵抗感が少ない方でどんどん下る。
30分ほど下って避難小屋に着いた。内部を覗くと土間と居間の二つに分かれている。ログハウス風で結構きれいだ。
もともとはここに泊る計画であったが、気持ちはもう今日中に帰ることに切り替わっている。重いザックを担ぎ再び先を進む刈り払いもしていなくて相変わらず笹の中を行く。木の根に引っかかったり、段差で何度も転びそうになるが、道はもう迷うことはない。  少し高い所に出た。白ビソ山の標柱がある。摺古木山まで1時間とあり、げんなり。
その後、早足で30分ほど歩いたのでそろそろかと思ったがまだ遠くに高いピークが見え、本当にあそこまで30分で行けるのだろうか?
もっと近くに摺古木山が現れるのではと期待を抱くが、それらしきピークを二つほど踏んだがかっての記憶にある摺古木山ではない。
やっとのことで本当に時間どうりに摺古木山に着いた。ここからは一度通っている。 最後の水も飲み干す、あと少しでたっぷり飲めるはずだ。
近道を選んで先を急ぐ。30分ほどで水場、ゴクゴクと何杯も飲み、ペットボトルにも満たす。
あと少しだと思ったのに林道終点の摺古木山休憩舎にはなかなか着かない。どうにかたどり着いたのはちょうど5時であった。
ここから2時間近く林道歩き。途中橋の上から沢を覗き込むと、魚影が、岩魚のようだ。
大平近くのどこかで川に出て水浴びを考えていたがもう暗くなり、いいところがないまま取水提近くに来た。
ちょうどここで右手から林道に小滝のように落ちる小沢があり、荷物をかなぐり捨て、着替えを出す。全身素っ裸になり小滝をシャワーのようにして頭から水浴びをする。
暗闇で裸身を露わにして、誰か来れば異様な光景に驚くかもしれないが、まず人は通らない。
4日間の汗、匂いを落としていかなければタクシーの運転手さんにも申し訳ない。さっぱりとし足元は素足にサンダルで暗い夜道を下る。


大平に着いて、明かりのついた家に声をかける。タクシーを呼びたいことを伝えるが、東京から夏休みで家族連れで廃村宿に泊りに来ていてタクシー会社の電話番号はわからないし、携帯も通じませんよ との返事。
公衆電話があるが衛星電話ですぐに切れるとのこと。近くの別の明かりのついた家のほうを紹介してくれる。
しかしここも年老いたおじいさんが一人でタクシーなど利用したことないと・・素泊まり3000円なら止めてあげると言うが、明日になっても
状況はあまり変わらないだろうし、なんとしても今日には帰りたい。
再び東京の人がいる近くの公衆電話に行き電話帳を探す。何とか飯田のタクシー会社を見つけ電話するが かけ方が間違っています・・で一向につながらない。先の東京の人も心配そうに見守ってくれる。
何度かかけ直しやっと通じたが、衛星電話は30秒100円とかですぐにコインがなくなる。用件を8割ほど言った所で切れてしまった。
でも1時間ほどすれば来ててくれるらしいのは伝わったようだ。
東京の人はまだ時間があるので私達の泊っている家に入ってお休みくださいと言うので、言葉に甘えて入り込む。いろいろと話を聞かせてもらった。
この大平も昭和45年に全村廃村になったが、ここを保存する会の人たちが多くの人に泊って利用してもらう取り組みをしているとのことで、古い民家や宿屋に泊り、薪の竃でのご飯炊き、薪で沸かす風呂と家族ともども夏休みの良い体験だなどと話してくれた。
あまり長居するのも気がひけてここをお暇し、しばらく暗い路上でタクシーを待っていた。
しばらくするとタクシーがやってきた。これでやっと帰れるとほっとする。曲がりくねった山道をタクシーは下る。途中、路傍に大きなイノシシがいた。運転手さん曰く、来るときはウリボウなど数匹いたと、そんな山奥なのだ。飯田駅には9時前に着いた。電車の時間を確かめ切符を購入後、近くの食堂へ。
そして乗った電車はワンマン電車?!駅員のいない駅もかなりある。ゆっくりと走り伊那市駅に着いたのは11時頃。
この時間だとバスもなく、再びタクシーで車の所まで。留めてあった自分の車に乗って高速道に入ったときはヤレヤレであった。
家には日が変わった1時頃に着いた。

越百小屋の主人が言っていたが 気持ちのいい緑の絨毯だと思うのか、もう二度と行きたくない笹薮と思うか 通ってみてどう感ずるか・・
今の所は、あの猛烈な笹藪漕ぎは当分は御免こうむりたい。

中央アルプス 北から南へ苦難の縦走   終わり。

 

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